茨木のり子 生誕100年
- 中央
- 掲載日2026年6月13日
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茨木のり子さん 生誕100年
戦後の日本を代表する現代詩人・茨木のり子(1926-2006)さん。
「わたしが一番きれいだったとき」、「汲む―Y・Y氏に―」、「自分の感受性くらい」、「倚りかからず」など数多くの作品の中で、
自身が経験した戦争体験や自立した生き方、移り行く日常を表現し続けた彼女ですが、
今年(2026年)で生誕100年・没後20年を迎えます。
最後の50年を西東京市・東伏見の私邸で過ごし、旧保谷市との縁も深い茨木のり子さんについて、
旧保谷市との関わりや著作、関連情報について紹介します。
目次
茨木のり子さんと旧保谷市
1926(大正15)年、大阪で生まれた彼女は少女時代を愛知県西尾町(現・西尾市)で過ごし、進学(帝国女子医学薬学・理学専門学校)を機に上京。23歳で医師の三浦安信氏と結婚し、埼玉県所沢市に移り住みます。
1955(昭和30)年に第一詩集「対話」を出版すると、神楽坂、池袋等を経由し、3年後の1958(昭和33)年10月、32歳で保谷市東伏見に家を新築し転居します。彼女の好みを取り入れ、従姉妹に当たる建築家が設計したもので、関連書籍でも「50年前に建てられたとは思えないモダンな外観」だと評されています。
「自分の感受性くらい」や「倚りかからず」等の彼女の代表作の多くは、この東伏見の私邸での何気ない生活の中から生まれましたが、彼女の作品の中には保谷市を題材にしたエッセイ(随筆)もあります。
「ほうや草紙―貘さんに―」(『茨木のり子詩集(現代詩文庫20)』、思潮社、1978年 等に掲載)
この作品では、茨木さんが「ファンだ」という詩人・山之口貘の娘・美美子さんと、保谷の「武蔵野」という中華料理店で食事をしながら語り合うシーンが描かれています。この中華料理店「武蔵野」とは、かつて保谷駅の南口(東町三丁目10番)にあった「保谷武蔵野」という北京料理の料亭で、地域有数の資産家・高橋源蔵氏の屋敷が西武鉄道の堤康次郎の手によって中華レストランに改築されてから、2002(平成14)年まで店を構えました(現在は解体されマンション)。
茨木さんは創作活動の他に、様々な活動を通して旧保谷市に貢献されました。
1982(昭和57)年10月に旧保谷市で行われた「憲法擁護・非核都市の宣言」(下記)は茨木さんにまとめていただいたものです(『革新の保谷 その市政と教育の回想』より)。

(出典:保谷市勢要覧1993)
また、1989(平成元)年7月に発行された『ほうやの教育(32号)』(広報誌)では、「ほうや今昔」と題し、保谷の風景の移り変わりが綴られた文章を寄稿いただきました。
所蔵資料一覧
図書館が所蔵する、茨木のり子さんの著作・関連図書を一覧でご覧いただけます。
(貸出可能な資料と館内での閲覧のみ可能な資料があります)
※中央図書館では、貸出可能資料のみを集めた地域資料テーマ展示「茨木のり子 生誕100年」を行っています。
(展示期間:6月16日から9月6日まで)
関連情報・イベントのお知らせ
- 市民活動団体「茨木のり子の家を残したい会外部リンク」(2016年設立):茨木のり子さんの私邸を地域の文化財として残すための諸活動を行う団体で、季刊会報『茨木のり子手帖』は図書館でも所蔵しています。
- 特別企画展「茨木のり子 東伏見・48年間の暮らしと創作外部リンク」(西東京市郷土資料室):令和8年9月6日まで、西原の郷土資料室にて開催中。関連イベントも随時開催されています。

